歩く
体調を崩して、もう7ヶ月になる。
木村をインドへ送り出して1週間ほどしてから、
自分の体調がどっかおかしいなーと思っとった。
視点が定まらんくって、目の前がゆらゆらする。
対向車のライトが細かく振動して見えて、
衝突するんやないかと思って何度もパニックになった。
娘のパジャマを買いに行って、全くサイズ違いのものを買ってきたり、
本を読んでも内容が頭に入ってこなくなったりした。
自慢の集中力が無くなって、1時間も絵を描いとれんくなった時に、
やっぱり、私は何かおかしいんやな・・・
と初めて真剣に考えたけど、もう手遅れやった。
とうとう、自分の声や呼吸する音が脳に響いて、気絶しそうになって、
友達に頼んで山を降ろしてもらって、
そのままふもとの病院に緊急入院したのが11月。
実家に戻って、大学病院内をはしごして、
結局、多分20代に患った突発性難聴が、
過労で再発したんやないかな〜ってことになった。
治療法は無い。
突発性難聴は発症して1週間しかステロイド剤が効かへん。
それ以降は打つ手があらへんから、安静にして炎症が治まるまで耐えるしか無い。
冷蔵庫のモーターの振動や蛍光灯のフェレメントの振動の音すら聞こえてきて、
脳がシェイクされるような感覚。
病院の自動販売機の横を通る事もできへんくって、毎日耳栓をして生活した。
蛍光灯の明るい光を見る事もできず、
静養に帰った実家の家中の電気を電球にしてもらった。
それでも部屋におれずに、閉め切ったくらい部屋で横になっとったこともあった。
歩くのも足下がふわふわして支えが無いと歩けんくなって、
外出のときは、車いすのお世話になった。
本を読む事もできへんし、
音を聞く事もできへんし、
疲れて寝たくても眠る事もできへんし、
食事もできへんし、
話す事もできへんし、
考える事もできへんかった。
できへんことずくし。
自分の状況を把握するのに精一杯で、娘の事を思いやる余裕すらなかった。
時は金なり!! の私にとっては、
何もできない毎日は、ただの浪費するだけの毎日。
部屋にこもって、泣いてばっかりおった気がする。
人は、簡単なことで壊れてまう。
そんな壊れて、不安になっとる私を支えてくれたのは、
家族や友人や夢やった。
私は一人で生きとるわけやない・・・
分かっとるつもりでも、分かっとらんかったのかもしれん。
そして、少しずつ薄皮を剥ぐように良くなってきた今、
多分、私はこの時期にこれだけの病気をせなあかん運命やったと思うようになれた。
育児と夢と仕事に追われて、
私自身の存在についてゆっくり考える事をおろそかにしとったから、
神様が、私に、私の事を見つめ直すための時間をくれたんやと思う。
命が奪われなかったのは、
まだやらなあかん事が、この世にあるからや。
闘病中、不思議な体験もいっぱいした。
この事は、また折に触れて書いておきたいなーと思う。
もう少し。
もう少しがんばったら、前のように暮らせるようになると思えるようになった。
歩く。歩く。歩く。
冬の冷たい風が、暖かくなってきた。
歩く。歩く。歩く。
毎日娘と歩く、保育園までの道。
歩く。歩く。歩く。
この一歩一歩が、私を見つめ直す時間。
ブログをこうして書けるようになったのも、回復の兆し。
気負わず、焦らず、責めず、自分と向き合って行きたいと思う。
どうか、もう少し休息を取る事を許してください。
木村をインドへ送り出して1週間ほどしてから、
自分の体調がどっかおかしいなーと思っとった。
視点が定まらんくって、目の前がゆらゆらする。
対向車のライトが細かく振動して見えて、
衝突するんやないかと思って何度もパニックになった。
娘のパジャマを買いに行って、全くサイズ違いのものを買ってきたり、
本を読んでも内容が頭に入ってこなくなったりした。
自慢の集中力が無くなって、1時間も絵を描いとれんくなった時に、
やっぱり、私は何かおかしいんやな・・・
と初めて真剣に考えたけど、もう手遅れやった。
とうとう、自分の声や呼吸する音が脳に響いて、気絶しそうになって、
友達に頼んで山を降ろしてもらって、
そのままふもとの病院に緊急入院したのが11月。
実家に戻って、大学病院内をはしごして、
結局、多分20代に患った突発性難聴が、
過労で再発したんやないかな〜ってことになった。
治療法は無い。
突発性難聴は発症して1週間しかステロイド剤が効かへん。
それ以降は打つ手があらへんから、安静にして炎症が治まるまで耐えるしか無い。
冷蔵庫のモーターの振動や蛍光灯のフェレメントの振動の音すら聞こえてきて、
脳がシェイクされるような感覚。
病院の自動販売機の横を通る事もできへんくって、毎日耳栓をして生活した。
蛍光灯の明るい光を見る事もできず、
静養に帰った実家の家中の電気を電球にしてもらった。
それでも部屋におれずに、閉め切ったくらい部屋で横になっとったこともあった。
歩くのも足下がふわふわして支えが無いと歩けんくなって、
外出のときは、車いすのお世話になった。
本を読む事もできへんし、
音を聞く事もできへんし、
疲れて寝たくても眠る事もできへんし、
食事もできへんし、
話す事もできへんし、
考える事もできへんかった。
できへんことずくし。
自分の状況を把握するのに精一杯で、娘の事を思いやる余裕すらなかった。
時は金なり!! の私にとっては、
何もできない毎日は、ただの浪費するだけの毎日。
部屋にこもって、泣いてばっかりおった気がする。
人は、簡単なことで壊れてまう。
そんな壊れて、不安になっとる私を支えてくれたのは、
家族や友人や夢やった。
私は一人で生きとるわけやない・・・
分かっとるつもりでも、分かっとらんかったのかもしれん。
そして、少しずつ薄皮を剥ぐように良くなってきた今、
多分、私はこの時期にこれだけの病気をせなあかん運命やったと思うようになれた。
育児と夢と仕事に追われて、
私自身の存在についてゆっくり考える事をおろそかにしとったから、
神様が、私に、私の事を見つめ直すための時間をくれたんやと思う。
命が奪われなかったのは、
まだやらなあかん事が、この世にあるからや。
闘病中、不思議な体験もいっぱいした。
この事は、また折に触れて書いておきたいなーと思う。
もう少し。
もう少しがんばったら、前のように暮らせるようになると思えるようになった。
歩く。歩く。歩く。
冬の冷たい風が、暖かくなってきた。
歩く。歩く。歩く。
毎日娘と歩く、保育園までの道。
歩く。歩く。歩く。
この一歩一歩が、私を見つめ直す時間。
ブログをこうして書けるようになったのも、回復の兆し。
気負わず、焦らず、責めず、自分と向き合って行きたいと思う。
どうか、もう少し休息を取る事を許してください。


